地下足袋山中考 NO14

<尾瀬と森吉山考 そのA>

▲尾瀬の自然史と山岳観光は森吉山観光の考察に欠かせない類似点が多い。一つは、尾瀬ヶ原を水没させるダム計画と小又峡に堰堤を造りクマゲラの森を水没させるダム計画(NO10参照)だ。いずれも大正から昭和初期の国策による電源開発計画を住民関係者が止めたという史実がある。その後、尾瀬ヶ原は昭和35年に国の特別天然記念物に、小又峡も昭和39年に県の名称及び天然記念物に指定された。また、高度経済成長期に計画された尾瀬道路計画は初代環境庁長官の大石武一氏(197172年)が三県の知事を説き伏せ1972(S46)年に幕を引いた。奥森吉・奥阿仁〜玉川車道計画も自然保護に配慮した公園計画が求められ1994(H6)年に歩道計画に変更した。そして、福島・栃木・群馬の三県にまたがる袋小路観光は奥森吉も奥阿仁も酷似している▲その尾瀬に入る主なルートは6ヵ所あるが、福島県檜枝岐村から尾瀬沼に入る沼山峠からの入山者が約3割、群馬県片品村戸倉から尾瀬ヶ原への入山口である鳩山峠からは5割強を占めている。尾瀬沼〜尾瀬ケ原縦走コースはトレッキングの銀座コースで、尾瀬ヶ原をはさんで燧ヶ岳と至仏山が鎮座する聖域を訪れるには最低3泊を要する▲尾瀬の過去10年間の平均入山者数約40万人のカウントは、尾瀬沼に入る沼山口や尾瀬ヶ原に入る鳩待口の入口に設置した光電計測値で、尾瀬の地理的条件からほとんど宿泊を前提としたカウントになる▲その直接経済効果は宿泊費(一泊1万円×3)120億円。土産品や飲食費(一人2万円)80億円を加えると200億円に及ぶ。34日の一人当たり全体消費額をグループ旅行が7万円、エージェント企画が9万円と見込むと、尾瀬という一つの山岳観光が産出す直接経済効果は約320億円という数字がはじき出る。山岳観光は決してあなどれない▲翻って我が森吉山麓の全宿泊人数は平成20年が約19,651人である。内訳は森吉山地区が4,439人、奥森吉地区が8,370人、奥阿仁地区が6,842人で約2億円の直接効果が見込める。その他、太平湖遊覧船1千万円、阿仁スキー場8,000万円、ゴンドラ観光2,600万円、道の駅「あに」が全国の売上平均7,500万円として総額約32千万円が主な直接効果である▲尾瀬の魅力は自然環境だけではない。総延長100qを超える歩道が張り巡らされ6割が木道で整備。昭和47年からゴミ持ち帰り運動を実施(ゴミのない尾瀬の実現を宣言)。昭和49年からマイカー規制の実施。全施設が合併浄化槽を設置。公衆トイレは15カ所を有しチップ制を導入。宿泊施設は定員凍結と完全予約制。石鹸・シャンプーの使用禁止。木道は禁煙。等々、自然環境への負荷を抑える先進的な取り組みが尾瀬の人気要因となっている▲森吉山麓が多彩で一級品の素材を持ちながら伸び悩む原因は、森吉山本体、奥阿仁、奥森吉の三地区が周遊ルートとして認知されていない。県境の名山と競い負け。宿泊施設の集積差。主要都市からの交通アクセスの利便性。誘客ノウハウ、価値観の認識不足と挙げれば切りはないが、素材を磨き上げる要素は充分にある▲山岳観光を唱えると「自然(死膳)で飯が食えるか」という声をよく聞いた。大型スキー場やテーマパーク、山岳有料道路を大型バスで巡るマス観光全盛時代から見れば、中高年層が小グループで闊歩するトレッキングブームは、想像だしない世界であろう。温泉と宴会直行の車窓絵葉書観光から体験や汗を流すリュックサック観光に価値観が変化したということ。そこに見るべき風景、体験すべき素材、食、人、異文化があれば、人は多少交通手段が不便でもエネルギッシュに動く。それが観光だ▲この4月に北秋田市観光振興計画が示された。がその計画の性格は「北秋田市総合発展計画の中の基本計画を基に、観光における北秋田市の将来を見据えた中期的な方向性を示したものであり、実効性ある観光施策に落し込むための指針となる内容を目指すもの」とあるが、市が取組む基盤整備、支援体制、目標値達成のための具体的なアクションプランが皆無に等しく意志が存在しない▲ここ3年間で約720万人の団塊世代が解放される。地方から首都圏に就職し故郷回帰が強い遊び上手の世代は、今後も社会のライフスタイルや消費活動にも大きな影響を及ぼすことだろう。そのニーズを北秋田市観光振興計画はどれほど拾えるだろうか。(資料:環境省尾瀬入山統計、北秋田市観光統計、北秋田市観光振興計画2010.8.2